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2012年12月 6日 (木)

別れの朝も、今朝と同じような寒い朝でした

12/6(木)

「Iさんが、よくしてくれるのよ」 病院のベッドの上の母がこう言った。
Iさん・・・
私が、高2の頃から付き合ってた子。卒業と同時に私は東京へ。Iさんは、看護士になるために広島の看護学校へ。会えない間は、手紙のやり取り。長い休みになると一目散に私は帰省した。あのまま付き合い続けていたら、結婚していたかもしれない。

ただご多分に漏れず、遠距離恋愛の壊れやすさ。私は、程なく目先の幸せのほうを選んでしまった。私が上京して11年後、私の母親が重い病気で入院した。郷里の病院へ見舞いに行って、そのとき母の口からIさんが担当の看護士であることを聞いた。思いっきり頭を殴られたようなショック。

「Sは、東京で結婚したのよ。ごめんなさいね」私とIさんの交際を知っていた母は、Iさんに そう謝ってくれたと聞いた。

何の非もないIさんに一方的に別れを告げたこと、仕事とはいえ、そんな男の母親の面倒を見てくれているということ、30歳近くまで独身で看護士として働いているということ、重い病気にもかかわらず、私のことで母親に、Iさんに気を使わせてしまったということ、一進一退を繰り返して、一向に良くなりそうにない母親の病状のこと・・・・・それらのことが、私の胸に何重にもなって重くのしかかっていた。

母親にとって最後の夏になった ある日、母親はこれから東京へ帰るという私に「こっちに帰ってこない?」と。

が、すかさず私の曇った顔を見て、「うそうそ。冗談よ」と。

結局、母親はその年の12月6日に帰らぬ人となり、私は、精神的にもめげてしまって、苛立ちの毎日を送っていて、翌年、離婚を決意。(田舎へ帰ることになったら、自分ひとりで帰ると、前々から話していた)それでも、母親のいなくなった郷里に、すぐには帰る気にもなれず、4年の間東京に居続け、その後、住み慣れた東京を引き払う決心をする。

郷里へ帰ってきて、Iさんの勤める病院に薬剤師として勤務していた同級生に「Iさんは、良い話があって、東京の板橋へ嫁いだよ」と聞いた。

母が亡くなった後も、私の胸にずしりと重く圧し掛かっていたものが、その時、取れた気がした。

今日は、最愛の母の命日。でも、29年も前の話。

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